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第3話  愛人契約の相手を探せ

last update publish date: 2026-10-20 15:26:05

 翌日の午後。

 深雪は、Cafe Luceのカウンターで一人、スマートフォンを睨んでいた。

「……Tって、誰なんだろう」

 昨日から、そればかり考えている。

 メールの内容からすると、Tは深雪の文章をかなり前から読んでいる。

 しかも、ただ読んでいるだけではない。

 深雪自身のことまで、ある程度知っているようだった。

「怖いな……」

 けれど、気になる。

 深雪は検索画面を開いた。

 ペンネーム「ひなたのねこ」。

 自分自身について検索するのは、少し恥ずかしい。

 けれど、Tを探す手がかりがあるかもしれない。

 検索結果を眺める。

 自分のコラム。

 過去のエッセイ。

 読者の感想。

 そして──。

「あ」

 一つの記事が目に留まった。

『今注目の若手エッセイスト・ひなたのねこ』

 掲載されたのは数か月前。

 そこには、連載している雑誌名も、簡単なプロフィールも載っている。

「……これだけなら、誰でも読めるよね」

 Tが特別な人物だとは限らない。

 そう考え直したところで。

「深雪」

 背後から声がした。

「わっ!」

 スマートフォンを慌てて伏せる。

「何してんの?」

 そこにいたのは、居酒屋のバイト仲間、立花薫たちばなかおるだった。

「な、何でもない」

「怪しい」

「本当に何でもないって」

「ふーん」

 薫は深雪の隣に座った。

 いつも通り、華やかなメイク。

 流行の服。

 SNSで見れば、きっと毎日楽しそうに見える。

「ねえ」

 薫が突然言った。

「深雪ってさ、金持ちの男に愛人にならないかって言われたら、どうする?」

「……え?」

 深雪は固まった。

「なんで?」

「いや、昨日SNSでそういう話が流れてきたから」

「……」

 偶然。

 たぶん偶然。

 深雪は自分に言い聞かせた。

「私は断るかな」

「即答?」

「うん」

「もったいな」

 薫は笑った。

「月100万円とかなら?」

「……」

「生活全部面倒見てくれるとか」

「それでも嫌」

「なんで?」

 深雪は少し考えた。

「……自分が、自分じゃなくなる気がするから」

 薫が黙った。

「お金をもらうことが嫌なんじゃない。でも、その人に選ばれたことが、自分の価値みたいになるのは嫌かな」

「……ふーん」

 薫はそれ以上何も言わなかった。

 ただ、どこか納得していない顔をしていた。

「まあ、私なら一回話くらい聞くけど」

「薫ちゃんは現実的だね」

「悪い?」

「悪くない」

 深雪は笑った。

 薫も笑った。

 けれど、薫はすぐに視線を逸らした。

「……私だって、何でもいいから仕事が欲しいし」

「え?」

「何でもない」

 その日の夜。

 深雪はいつものように居酒屋で働いていた。

「いらっしゃいませ!」

 忙しい時間帯。

 注文を取り、料理を運び、空いた皿を下げる。

 そんな中。

「深雪ちゃん」

 店長に呼ばれた。

「このあと団体来るから、よろしくね」

「はい!」

「薫ちゃんもお願い」

「了解です」

 二人で顔を見合わせる。

「忙しくなるね」

「ほんと、それ」

 薫は笑った。

 けれど、その直後。

 店の入口が開いた。

「いらっしゃいませ!」

 深雪が顔を上げる。

 入ってきた客を見て──。

「……あ」

 見覚えがあった。

 Cafe Luceの常連客。

 和光。

 今日も落ち着いた服装で、店内を見回している。

 そして。

 深雪と目が合った。

「こんばんは」

「こ、こんばんは……」

 なぜか緊張する。

 和光は少しだけ笑った。

「ここでも働いているんですね」

「……はい」

「大変ですね」

「まあ、慣れてますから」

 そう答えると、和光は何か言いたそうにした。

 しかし。

「和光さん、お席こちらです!」

 店員に呼ばれ、席へ向かっていく。

 その背中を見ながら、深雪は首を傾げた。

「……なんで私のこと知ってるんだろう」

「誰?」

 薫が聞く。

「カフェのお客さん」

「ふーん」

 薫は和光を見る。

「いい男じゃん」

「そう?」

「そうだよ」

「でも、なんか変な人」

「深雪にだけは言われたくないと思う」

「どういう意味?」

「そのまま」

 二人で笑った。

 その夜。

 仕事を終えて帰宅した深雪は、ベッドに座った。

 スマートフォンを開く。

 メールが一件。

 差出人──T。

『今日、あなたの働いている店に行きました』

「…………」

 深雪の動きが止まった。

 続きには、こう書かれていた。

『忙しそうでしたね』

 そして。

『無理をしすぎないでください』

「……え?」

 背筋がぞくりとした。

 今日、自分が働いている店に来た。

 つまり。

 Tは、自分の生活を見ている。

 深雪は慌てて画面をスクロールした。

 最後の一文。

『あなたが「ひなたのねこ」だと知っていることは、どうか忘れないでください』

「……この人、本当に何者なの?」

 深雪はスマートフォンを握りしめた。

 その頃。

 同じ夜。

 一人の男が、自宅の書斎で深雪の最新コラムを読み返していた。

 画面には、ペンネームが表示されている。

 ──ひなたのねこ。

 男は小さく息を吐いた。

「……やっぱり、本人だった」

 そして、机の上に置かれた名刺を見る。

 そこには。

 あすなろホールディングス代表取締役

 佐倉大晴さくらたいせい

 そう記されていた。

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